久泉小学校跡

 

 明治5年学制が頒布され、広川町にも明治6年(1873年)5月に知徳小学ができました。

 その後、明治10年(1877年)に水原小学(上馬場)、広川小学(知徳)、新代小学(吉里)、日吉小学(太原)、川上小学(増永)ができました。

 それから、編入や統廃合が行われる中、明治16年(1883年)4月に新代、日吉、川上の3小学を廃し、久泉村705の1番地一本松に久泉小学を新築して統合されました。それがこの場所です。これにより、水原小学は久泉小学水原分校となりました。

 明治23年の『小学校令』の公布により、明治25年(1892年)久泉尋常小学校と校名が変わりました、明治29年(1896年)4月、現在の中広川小学校の場所に、ここの校舎を移築し、中広川尋常小学校となるまで、ここに小学校があったのです。